翻訳と辞書
Words near each other
・ 褿
・ 襀
・ 襀翅目
・ 襁
・ 襁褓
・ 襂
・ 襃
・ 襄
・ 襄公
・ 襄公 (宋)
襄公 (斉)
・ 襄公 (晋)
・ 襄公 (秦)
・ 襄公 (衛)
・ 襄公 (鄭)
・ 襄公 (魯)
・ 襄国
・ 襄国県
・ 襄垣
・ 襄垣県


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

襄公 (斉) : ミニ英和和英辞書
襄公 (斉)[じょうこう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

襄公 (斉) : ウィキペディア日本語版
襄公 (斉)[じょうこう]

襄公(じょうこう、? - 紀元前686年)は、(姜斉)の第14代君主。釐公の子。
== 生涯 ==
釐公33年(前698年)、釐公が薨去したため、子の諸児(しょげい)が立って斉君(以降は襄公と表記)となった。
襄公元年(前697年)、生前父が寵愛していた従弟の公孫無知の待遇が良すぎるため、襄公は彼の俸禄と服飾を引き下げた。
襄公2年(前696年)11月、恵公が斉に亡命してきた。
襄公3年(前695年)1月、襄公は桓公、紀侯と黄(斉の地)で盟を結び、衛を撃つことを謀った。5月、斉が魯の国境を侵したため、奚(魯の地)で両国が衝突した。10月、高梁弥が主君である昭公を殺し、公子亹(こうしび)を鄭君に立てた。
襄公4年(前694年)1月、襄公と魯の桓公が濼水(斉の川)にて会合し、魯の桓公夫妻が斉にやってきた。襄公は以前、魯の桓公夫人(自分の異母妹・姜氏)と私通したことがあり、今回もまた密通してしまい、魯の桓公にそれが知られてしまった。4月、そこで襄公は魯の桓公と酒を飲み、彼が酔っているすきに公子彭生に命じて彼を殺した。このことに魯の国人が責めてきたが、襄公は殺害を実行した彭生に責任をすべて押し付け、彭生を処刑して陳謝した。襄公はこの後もたびたび姜氏と密通し続けた。7月、襄公は会盟の招集をかけて鄭の子亹(公子亹)を誘き寄せ、高梁弥とともに彼を殺した。
襄公7年(前691年)秋、紀季(紀侯の末弟)がから分かれて酅(けい)を斉に献上し、斉の属国となった。
襄公8年(前690年)夏、斉が紀を攻撃し、紀侯が国を棄てて去ったため、紀は斉に併合された。
襄公9年(前689年)冬、襄公は斉にいる衛の恵公を復位させるため、・魯とともに衛を攻撃した。翌年(前688年)、衛の恵公は復位できた。
襄公12年(前686年)、前年に襄公は連称と管至父の2人に葵丘の守りにつかせ、その1年後に交代の者を送ると言っていた。しかし、1年たっても交代の者が送られてこないので、襄公に問い合わせたところ、襄公は交代を許さなかった。このことに怒った2人は、公孫無知を奉じて反乱を起こそうと考えた。12月〔『史記』では12月、『左伝』では11月。〕、公孫無知らは宮中に押し入り、宮中の人々や襄公の寵臣らを殺した上、隠れていた襄公を見つけ出して殺し、公孫無知が立って斉君となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「襄公 (斉)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.